妄想の臨床
鹿島晴雄・古城慶子・古茶大樹・針間博彦・前田貴記:編
2013年発行 A5判 500頁
定価(本体価格7,000円+税)
ISBN9784880028347

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内容の説明▼

生物学的検討や操作的診断に強い関心を寄せる現代精神医学にあって、患者の心に向きあう臨床の立場から妄想を多面的取り上げた待望の新刊出来。

まえがきにかえて ―一次妄想のこと―

 「妄想の臨床」と題して、臨床の立場から妄想を多面的に取り上げた。近年、妄想に関する生物学的な検討は増えているが、それらは他書に譲りたい。
 三部構成で、第1部の総論では妄想という現象についての概念の歴史とさまざまな学派の考え方、および精神病理学的な観点から妄想についての主要な事柄を取り上げた。第2部の各論ではライフステージ別に妄想を論じている。ライフステージと関連の深い妄想は従来よりさまざまな名称のもとに語られてきており、系統的、網羅的とはいえないが、操作的診断に慣れた若い精神科医の方々にはあまりなじみのないものもあろう。第3部の治療では、身体療法以外に精神療法、認知行動療法も取り上げた。
 第1部のⅪとしてKurt Schneider(クルト・シュナイダー)の論文「Eine Schwierigkeit im Wahnproblem. Nervenarzt 11:461-465, 1938」の翻訳を載せた事情に触れておきたい。ただし以下は編者を代表してということではなく個人的な考えであることをお断りしておく。
 筆者は"訴えをそのままに聴く"(1)ことを第一にしてきたが、特に統合失調症において特異的とされる訴えを"そのままに聴く"と、それらは外界の変化に関するものが圧倒的に多い。これは当然のことと思われる。総じて人は"自分は変わらない"というべき原則で感じ体験するものであるからである。安永のファントム理論でいう"それまでの体験図式の固執性"である。階段を踏み外したそのときは階段がなくなったと思うであろう。外界が変わったのである。ただ次の瞬間に目で見て踏み外したことに気づく。つまり階段がなくなったとする体性感覚をその感覚とは独立した視覚が訂正するのである。しかし統合失調症における一級症状、自我障害、仮性幻覚などのいわば"内界と外界"の混乱、錯覚の場合は、体性感覚に対する視覚のような独立した訂正機構は存在せず、この"内界と外界"の混乱、錯覚は容易には訂正されがたい(2)。統合失調症という疾患に罹患したことに気づかなければ、外界が変化したと感ずるのは当然であろう。疾患という内界の変化によって、それまでの内界と外界の関係は変化することになるが、"自分は変わらない"というべき原則があり、そして独立した訂正機構がないとすれば、必然的に"外界が変化した"との体験が多くなるであろう。一方、妄想とは頭の中でのことで、そうとしか考えられないとしても、またイメージを伴わない考えはないとしても、やはり自分が思っている、考えているという能動性の感じがあり、外界の変化という受動性の知覚体験とは異なる。
 妄想を一次妄想と二次妄想に分ける見方がある。統合失調症においても、内界と外界の混乱である一級症状、自我障害などの体験に対する解釈としての二次妄想といえるものは多いと考える。シュナイダーは周知のように妄想気分、妄想知覚、妄想着想を一次妄想としたが、"訴えをそのままに聴く"と妄想気分と妄想知覚は、外界に結びついた体験である。妄想気分はそのまま外界の変化であり、妄想知覚は二節性といわれるが、それを見、聴いたこととその意味は一体の体験で、Matussek(P・マトウセック)ではないが"高次"の知覚変化というべきであり、外界の変化といいえよう。残る妄想着想こそが一次妄想ということになり、本書の企画段階では、"妄想着想"を巡っての座談会を計画し自由に語ることで妄想の中核に触れたいと考えた。しかるに難しくなかなか内容が煮詰まらず時間が経過した。当時たまたま筆者が精神科の後期研修医の諸君とドイツ語の勉強ということで、テキストに選んだのが一九三八年にNervenarztに掲載されたシュナイダーの論文であった。そのなかでは、後年に比べより直截に妄想着想の問題点が述べられており、訳出して座談会に代えることとした次第である。訳は直訳調であるがご寛恕いただきたい。
 編者のまえがきとしたが、編者代表ではなく私の個人的意見となってしまったことをお詫びしたい。

平成二五年四月 編者 鹿島  晴雄

文 献
(1) 鹿島晴雄「訴えをそのままに聴く」(シンポジウム・動く「こころ」を読む)、第二七回日本医学会総会、2007年4月
(2) 古茶大樹、前田貴記、鹿島晴雄「統合失調症の仮性幻覚について」『Schizophrenia Frontier』10巻2号、112―116ページ、2009

 

あとがき

 この精神的なものはわかつことのできないものが次から次へと起こってくる単一な巨大な流れで、その上無数の個々の人間に皆別々に流れて行くのである(ヤスパース『精神病理学原論』より)

 この一節は心の本質をよく表現している。心とは部分ではなくて常に全体を意味する、その大きさは宇宙にも匹敵するもので、どのような方法をとっても全体を表現することができない。さらに、心はある瞬間を切り取って、画像のように並べて比較することができない。心そのものは、全体を部分や要素に分解し、比較することで実証性のある法則を見出そうとする自然科学的方法論をそのままあてはめることができない。
 「心の時代」といわれているが、どうもすっきりしない。ことに現代精神医学が「心の時代」というフレーズを使うときには、心の解明、つまり心を、脳の活動やパーソナル・ゲノムといった、身体的・物質的次元に還元しようとするもののように思えてならない。やや極端な言い方をするなら、時間的・空間的形式では把握しきれない心を、物質的次元に封じ込めようとする唯物論のように感じられる。脳と心の関連を徹底して追及してゆこうとする自然科学的アプローチ(現代精神医学の志向性)が、そのプロセスで価値あるさまざまな知見をもたらしてくれる可能性については否定しないし、おおいに期待をしたいと思っている。しかし、その究極的な目標である「心を脳に還元すること」はやはり到達不能ではないか。われわれのスタンスは、もちろん唯物論ではないが、かといって唯心論を主張するものでもない。どちらかを、もう一方に還元しようとすること自体が有益ではない。もう少し積極的な言い方をするなら、脳と心、それぞれの描写はひとつの現象の描き方の違いでしかないと考えるものである。
 本書の狙いは、「把握しうる」心の次元にこだわって妄想について考察しようとするものである。したがって、伝達物質や脳血流といった脳との関連については、触れることはあっても、あえて積極的には取り上げなかった。妄想は心の次元で把握できるものであるからこそ、その次元で、さまざまな妄想を描き出し、そのほかの心的側面との結びつきに関心を向けている。第1部では、主要な妄想論を取り上げているが、「把握しうる」と注釈をつけたのは、精神分析学や人間学的精神病理学のように、直接的には把握することのできない無意識水準にまで踏み込むことはしなかったということである。その点では本書には了解概念が通底しているといえるかもしれない。「精神病であるか、否か」という鑑別の判定基準となる了解概念を堅持すると、自ずと「パラノイア問題」が浮かび上がってくる。かつての精神病理学の中心的課題であったこの問題を、われわれの視野にとどめておくことは、精神病理学の歴史的連続性を保持することにもつながるだろう。妄想をテーマにするからには、了解概念を越えて、もっと哲学領域での興味深い論考を展開すべきである、それこそが真の妄想あるいは人間理解に通ずるものだという批判もあるかもしれない。しかし、われわれはかつて精神病理学に浴びせられた「はたして臨床に役に立つのか」という批判を忘れてはいない。「妄想の臨床」という本書のタイトルにはそのような想いが込められている。第2部の各論ではライフサイクルと主要な精神障害とを組み合わせて、そこでどのような妄想が、どのように展開されるのかを論じた。ここではとくに症例の描写に力を入れ、それぞれの類型の典型例を紹介するよう心がけた。第3部は妄想の治療論である。われわれの主張からは、妄想の治療学も「心の次元」で展開されるべきかもしれないが、ここではどうしても脳・身体を抜きにすることはできない。治療論は、どうしても妄想よりも疾患という水準でのそれとならざるをえない。
 現代精神医学は、心を飛び越え脳に強い関心を寄せている。この傾向は、精神医学の自然科学的側面としてまちがっていないし、DSMの採用する操作的診断も自然科学的研究にふさわしい方法論である。しかし、患者の脳ではなく心と直接向き合う、実際の臨床は違う。精神科臨床が自然科学的志向性に偏りすぎることには、大きなデメリットがある。心の次元に踏みとどまることでしか、わかり得ないものがある。本書の狙いはまさにそこにある。その立場から患者の心を知ろうとする努力は、価値を失うことはないと信ずる。

編者を代表して 古茶 大樹

おもな目次▼

まえがきにかえて ―一次妄想のこと―
執筆者一覧

第1部 総論
 Ⅰ.ルサンチマンと妄想形成
 Ⅱ.「妄想」概念の歴史
  ドイツ語圏の妄想
  フランス語圏のパラノイアとパラフレニー
  英語圏の妄想論
  今日の操作的診断基準における妄想
 Ⅲ.真性妄想と妄想様観念、敏感関係妄想、支配観念
 Ⅳ.パラノイア問題再考
 Ⅴ.妄想知覚論
 Ⅵ.シュナイダーの一級症状について
 Ⅶ.妄想と二重見当識
 Ⅷ.妄想と思考障害
 Ⅸ.文化と妄想
 Ⅹ.妄想の予後と文化
 Ⅺ.妄想問題におけるある種の難しさ

第2部 各論
 Ⅰ.子どもの妄想とその周辺症状
 Ⅱ.青年期
  思春期の妄想
  摂食障害にみられるボディイメージの障害および関連症状
  自閉症スペクトラムと妄想
  解離と妄想
 Ⅲ.青壮年期
  初期統合失調症における「妄想」三態
  妄想型統合失調症
  非定型精神病
  躁うつ病の妄想
  境界パーソナリティ障害の一過性の反応性妄想形成
  中毒性精神病
  てんかん精神病
 Ⅳ.初老期および老年期
  退行期メランコリー
  コタール症候群
  嫉妬妄想
  遅発パラフレニーと接触欠損パラノイド
  皮膚寄生虫妄想
  共同体被害妄想
  認知症(物盗られ妄想)
  器質性脳障害における妄想
  人物誤認と妄想(カプグラ症候群)

第3部 妄想の治療論
 Ⅰ.薬物療法
 Ⅱ.精神療法
 Ⅲ.妄想に対する認知行動療法
 Ⅳ.電気けいれん療法(electroconvulsive therapy:ECT)

あとがき
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