面接法から続く、熊倉ワールド、渾身の新刊出来。じっくり味わって何度も読みたい1冊。
プロローグより
……「人間の問」について……
既に20年以上も前のこと、診察室での小さな出来事である。
医学的に必要な処置を行って、私は或る患者の診察を終えた。それで治療はすべて終わったはずだった。しかし、最後に患者は、私に、一言だけ問うた。
「なぜ私は生きなければならないのですか」
私はまだ若かった。そして、応えるべき言葉を失った。私は、その問の前で無力だった。実際に、私が学んだ医学、心理学、哲学は、この問に答えるものではなかったし、この問を立てることすらしなかった。そのことを私は既に痛感していた。人間の無力。この件を土居健郎先生と話し合った。何かの答えを与えてくれると期待した。しかし、先生は、ただ、独り言のように呟いただけだった。
「人間、この怪物を如何に分かれというのか」
先生の一言は私の甘さを、即座に、白日の下に暴いた。気の利いた対処法の伝授を求める気持ちが、私の中にあったのかもしれない。師の力量を試す気持ちすらあったのかもしれない。そこに隠された私の真意は、実は、人間の不可解を恐れ、そこから目を逸らすことだった。生の意味を自分で考えることが恐ろしかったのだ。その私の甘さが、患者の前で露呈しただけだった。
時に、治療者の言葉より、患者の苦悩の方が深い。先生と私はそのように話し合った。話を聞いた以上は、何もできなくても患者とそこに留まる他にない。それが治療者の仕事である。
「しかし……」
それ以上、先生は語らなかった。先生の無言は私に問い掛けた。臨床に留まれるのかと、私にその勇気があるのかと……。
自然の前の人間の無力。そこで人は何を見て、何をするか。そこに人間による人間の問が在る。心の臨床家が避けられないテーマが在る。私は、それに応えるために、この本を書いた。ここに描く新しい「心の形」を、私は「肯定」の心理学と名付けた。