「心とは何か。心因とは何か」を問う、心因概念の再考の書。著者が実際に体験した「光化学スモッグ事件」で、臨床での被害者との出会いを通して自分たちの中にある心因論についての再考を迫られる。心因論についての論考と、半世紀をかけて導かれた論考。これを如何に読解するかは読者に委ねたい。
はじめに
「理論、それは立派だ。しかし、事実はそうなのだから、なんとも仕方がない」
J.M.シャルコー
精神医学の分野では、精神療法、精神分析、薬理学、生物学、社会医学、倫理学等の専門分化がすすんできた。専門各論の進歩は喜ばしいことである。しかし、専門分化した知識が臨床にいかされるのは、臨床的知覚を身に付けてからである。つまり、各論的知識は如何に魅力的であっても、それ自体が厳密な限界設定を課すことによって、臨床適用が許される。現在では、限界設定なき医療行為は、独断的医療(doctrinal medicine)と批判される。
かつて、私が学んだ頃の各論的専門家は、同時に、すぐれた臨床家でもあった。彼らは基礎研究の専門分野の如何を問わず、自ら知覚した臨床所見の上に理論を構築する臨床センス、つまり、臨床病理学の方法を身に付けていた。臨床観察と臨床記述、それに基づく理論構築。シャルコー以来の臨床病理学の伝統は、まだ、生きていた。
私が、本書で回帰するのは臨床病理学である。
臨床は生きた人間が出会う場である。そこにこそ、臨床家の困難があり、喜びがあり、臨床理論がある。人間知がある。本書は伝統的な臨床病理学への回帰の1つの試みである。
心の臨床家にとって、「心」という言葉は、もっとも、大切な言語ツールである。それを、大切に、自覚的に用いたい。臨床家ならば誰でも、そう思うだろう。これは、そのような意味で心因論研究の書である。
心因性の身体症状。「心」に原因のある身体症状。
身体的基盤のない身体症状。
確かに私も、そのように、患者に語らねばならない時がある。しかし、本当はそれが何を意味しているか。そう反芻する時、そこにこそ探求すべき新しいテーマが手付かずで残されていると気付く。
「心」の臨床家が自負する程には、「心」という言葉について知らないと……。
「心」という言語ツール。
その何処に、如何に、「未知なるもの」が潜んでいるか。自己の無知を明確な言葉で患者に語ることができる「心」の臨床家は、どれだけいるのだろうか。そのような反省なしに患者に対して、ただ、過剰な解釈を行ってはいないだろうか。
特に、「心」という言葉の使い方は、臨床家の力量によって、有用にもなるし、加害的にもなる。患者と如何に「心」の一言を共有するか。それが臨床経過を左右する。口に出さなくても、治療者の考えに応じて相手に何かが伝わり、信頼関係が左右される。そう気付いているだけで、治療が好転する。その差異が何に由来するか。それが、本書で明らかにすべきテーマである。このテーマは単に精神療法家の基礎であるにととまらず、心の臨床家の条件、治療者の「中立性」についての考察でもある。
本書では、治療者にとって、「未知なるもの」、及び、「中立性」が何を意味するかが重要なテーマとなる。
心が原因で身体症状が発生するという考え方、その理論。心因論。心因とは、いかなる意味で専門語なのか。あるいは、それは原初的アニミズムが現代に生き残った偏見に満ちた言葉にすぎないのか。そもそも、心因性の身体症状という考え方は、どのような根拠を持って発生したのか。
改めて、心因論の歴史を概観するならば、それは近代医学が発生するよりも遥かに古い。
神や霊的な力によって身体症状を理解した原初的アニミズムの時代があった。中世ヨーロッパでは、魔女狩りとヒステリー症状は切り離せない関係にあった。近代になっても、ヒステリー症状は体内を動きまわる子宮が原因と考えられ、子宮摘出術が行われていた。実際、ヒステリー(hysteria)の語源は「子宮(uterus)」であるという。
フロイトはヒステリー研究において、心的原因によって起こる身体症状を転換症状(conversion, Konversion独)と名付けた。戦後、ヒステリーの病名は差別語として消滅した。それを用いる医療関係者は、今はいない。近年、それは身体化(somatization)、身体表現性 (somatoform)という言葉に置き代えられた。言葉の変化によって何かが変化した。何が身体化するのか。何が身体表現されるのか。心なのか。そのような問こそが見えなくなった。このようにして、身体症状から「心」という言葉は伏せられて見えにくくなった。臨床から「心因」の一言が、そして、多分、「心」の一言が伏せられた。
心因性という言葉は災害神経症、社会神経症、戦争神経症、労災において、出来事を契機として生じた身体症状の賠償責任、ないしは、社会責任を否定する役割を果たしてきた。心因という言葉が伏せられたのは、心因という言葉にひそむ何らかの差別性への反省によってであろう。心因概念が生み出す多くの痛みによって、心の臨床家は「心」という言葉を不問に付したのであろうか。
「心」という言葉を語らないで済ます。それで臨床が成り立つと思う。そのような防衛的習性を、心の臨床家は多くの困難の中で、既に、学習したのだろうか。
西欧哲学に内在する心身分裂、自他分裂の苦悩。それは東洋の果てに住む私のような臨床家の思考すら、気付かないうちに支配する。そして、分裂した思考の「間隙」へと、私たちを陥れる。そして、治療者に臨床の現実を見えなくさせる。私たちは、そう思わざるを得ない臨床体験をした。それは、同時に、心因性の身体症状の現実について、意外な発見のチャンスでもあった。
本書は、その報告であり、心因概念の再考の書である。
「心とは何か。心因とは何か」
この問が臨床に回帰する契機に、本書がなることを望む。この問い掛けがなければ、心の臨床において人間は視野には入らない。
臨床医学は、シャルコーから始まったといわれる。
彼が観察したのは特殊な症状ではなかった。誰もが見あきたような平凡な症状であった。彼の方法は、自分の眼で見たもの、つまり、臨床観察に絶対的信頼をおくことだった。これならば誰にでもできると思うであろう。しかし、実は容易なことではない。彼の観察眼は、まとまりのない症状を1つの体系化された全体像として知覚することができた。フロイトはいう。シャルコーは他の臨床家には見えないものが見えた、「見る人」であった。
何故、彼に、それが可能であったか。それを示す興味深いエピソードがある。
若きフロイトがシャルコーの指導を受けていた時のエピソードである。シャルコーの神経学理論では説明できない矛盾に満ちた症状を、ある患者が示した。研修医が臨床観察の所見が理論に合わないとシャルコーを批判した。その時、シャルコーが平然と答えたのが、前記の言葉、「理論、それは立派だ。しかし、事実はそうなのだから、なんとも仕方がない」であった。
自ら構築した確固たる神経学的診断学の体系。その栄誉よりも、そこから逸脱した臨床所見こそ大切にする。要するに、明晰に知覚し得たものを思考の出発点におく。知覚のエビデンス(自明性)を自己の臨床体験におく。そこにこそ、新しい臨床の「知」が生まれる。そもそも、臨床の「知」とは「知」のダイナミズムとして存在する。
それでは、「臨床的事実」とは何なのか。
それを私に教えてくれたのが、「光化学スモッグ被害」の患者たちとの出会いであった。
理論を超えた臨床的事実に触れて、自分の脚と、自分の眼で確かめる。それ以外に事実を確かめる方法はない。まだ、若かった私に、そう教えてくれた、困難で、しかも、かけがえのなく貴重な臨床的出会いを、ここに紹介する。まずは、読者が無心に、臨場感をもって読んでいただきたい。
シャルコーも、フロイトも近代ヒステリー研究の基礎を作った人物である。彼らならば、この報告を見て関心を持ち、きっと、重要なヒントを与えてくれただろう。そのように考えながら、当時、若かった私なりに、彼らの視線にも耐えられるようにと、彼らの提示した臨床医学の方法に忠実に、これらの事例報告を書こうと思った。臨床経験の少ない当時の私が患者や医療者たち、つまり、臨床のニーズに応えるには、それ以外に為す術はなかった。今は、そのことが、ただ、懐かしい。
本書に収めた論文は、いずれも、未だ、30代そこそこの私の論文である。今の私から顧みれば、いかにも未熟である。読者には固い文章で、読みにくいものもあろう。そのことは、誰よりも私が知っている。その点は、お許しを願う他にない。
ただし、その未熟さこそが臨床を支えるエネルギーであった。それは、今の私から失われつつあるものだった。若さゆえに、初心者ゆえに、今の私よりもムクに、「未知なもの」を受け入れる観察眼があった……、ように思う。それゆえに、必要最小限のもの以外は手を加えなかった。それを補うべく、可能な限り、現在の私からみた解説を随所に挿入した。それが読者の助けになればと願う。