日本高次脳機能障害学会サテライト・セミナープロシーディング集,待望の第3弾!
超皮質性失語の歴史と今日的意義を改めて立ち返るべく編纂された本書は,その病態機序や各臨床型の特徴について熱く論じています。「Broca領域失語」「word meaning deafness」「反響言語」「力動性失語」など気になるトピックスについても詳細に解説、必携です!
はじめに
本書は2013年11月に松江で開催された日本高次脳機能障害学会のサテライトセミナー「超皮質性失語」において行われた7つの講演を核として,講演ではあまり触れられなかった超皮質性失語に関わる他のいくつかのテーマを追加して編纂されたものである。伝導失語,注意と意欲の神経機構,に続く第3のサテライトセミナー特集である。
もともと,本シリーズの出版は高次脳機能障害学会の教育・研修委員会の委員長であった大東祥孝先生が企画されたものである。ご存知のことだと思うが,大東先生は2014年10月22日に亡くなられた。まだまだ教えていただきたいこと,指導していただきたいこと,がいっぱいあるのにという思いが多くの人にあるなかで,惜しまれ早すぎる別れであった。ただ,ほとんど死の直前まで臨床の場に立ち続けておられた経緯をきくと,先生の精神医学や神経心理学の臨床にかける思いの大きさをあらためて実感させられる。
大東先生のサテライトセミナーや本シリーズに対する熱意は大変なものであった。本学会の企画する主な研修会には,高次脳機能障害学会の次の日に行われるサテライトセミナー以外に,毎年夏季に3日間にわたって行われる少し若手を対象にした研修会があるが,どちらの教育研修についてもいつも高い熱意をもって取り組まれていた。ご自身の研究や執筆もお忙しいはずであったが,教育研修に決して時間を惜しまれなかった。
私の記憶が確かならば,大阪でのある小規模な研究会終了後にお誘いを受け,焼き鳥屋で随分と話し込むことになった。その時,「先生にもぜひ力を貸してほしい」と言われ,具体的には夏の教育研修会やサテライトセミナーでの講演の依頼を受け,講師の選任についても相談を受けた。学会員の教育研修やレベルアップについて熱く語られるそのお姿から,大東先生が研究だけではなく,教育にも情熱を傾けておられることに強い感銘を受け,感動したことを昨日のように思いだす。
お願いされたセミナーのテーマが超皮質性失語であり,すでにその時から伝導失語に続いてぜひ書籍化したいという意向をお持ちであった。「私が歴史を簡単に総括するから,先生は超皮質性失語の全体的な現状を,先生の視点で語ってほしい」と言われ,やや荷が重いなとは思いつつも喜んでお引き受けした次第である。
実際のセミナーの際には,大東先生はすでに体調を崩され,残念ながら参加されなかったのだが,電話で何度もやり取りがありセミナーのことを心配されていたことを学会事務局の中川さんからきかされていた。大東先生が講演される予定であった「超皮質性失語の歴史」については,大東先生の用意されたパワーポイントを用いて,大東先生の意図をできるだけ汲みながら小嶋氏が自身の視点も加えて講演された。
大東先生の傾けられた情熱を少しでも受け継ぎ,さらに次の世代に繋いでいくのは残されたものの役割であろう。教育・研修委員会で大東先生の遺志通りに本書を発行することが決まり,編集者に小嶋氏と私が指名された。そして,ようやく完成した。亡くなられた大東先生に合格点を与えていただけるかどうかは,はなはだ心もとないが,それぞれの筆者がそれぞれの立場で,最高のパフォーマンスを発揮したと信じている。
もし瑕疵があったとすれば編集者の一人に指名されながら執筆をもっとも遅らせてしまった私の責任がもっとも重い。大変な苦労をおかけした新興医学出版社の岡崎真子氏にもこの場を借りてお詫びと御礼を申し上げたい。
著者全員の声が天国におられる大東先生に届くことを祈りつつ。
<最初に言っておきたいこと>
もう一点,巻頭言で是非語っておきたいことがある。
それは,失語に限らず神経心理学の分野では,簡単なことでも,いや簡単にみえることほど奥が深く一筋縄ではいかないということである。簡単そうにみえることでも人によって意見が違うのである。したがって,本に書いてあるからと言って,あるいは論文になっているからと言って,それが正しいとは限らないと思ったほうがよい。誤解を恐れずに言うと,実は真実などないのである。
認知心理学で流行のモデルなど何とでも作れるので,人によって異なるモデルができて当然である。例えば,読みのモデルではトライアングルモデルと二重経路モデルの対立があるが,どちらが正しいかといった議論は,おそらく永久に結論はでないであろう。どちらのモデルが現実の症状を説明しやすいか,我々が考えやすいかだけであって,実はどちらも真実ではないかもしれないし,どちらも真実かもしれないのである。
本特集の中でも伝導失語の中でももっとも関連する言語の機能は復唱であろうが,復唱の経路はWernickeの「島」説やGeschwindによる「弓状束」説,すなわち伝導路説が正しいのか,縁上回を中心とする皮質が重要な役割を果たし弓状束など関係ないのか,それこそ神経インパルスを視覚化できればすぐにでも簡単に結論がでそうなことさえ,いまだに結論はでておらず論争が続けられているのである。実際に人がある言葉を復唱する際に,脳の中で神経インパルスがどこからどこに伝わっていくかは,これだけ画像技術が進歩してもまだわからないということである。
かなり確実にわかっているのは復唱障害がでるのはどこに病巣をもつ人が多いかということだけである。機能的MRIで実際の脳活動がわかるかのような誤解もあるが,これとて多くの刺激に対する反応の際の賦活について,統計的処理を経て出されたものであり,賦活された部位が真にその機能を担当しているのかどうかは,いつも議論があるところである。
本特集の「超皮質性失語」は諸家によってもっとも考え方が異なるテーマであるかもしれない。それぞれの論文を詳しく読んでいただければすぐにわかることであるが,同じテーマや同じ問題を扱っていても著者によって考え方がまったく異なる場合が多い。例えば,小森氏と船山氏とは語義失語や意味記憶障害についての考え方が根本的に異なるし,編集企画を担当した小嶋氏と筆者との間でも,超皮質性失語や意味記憶障害に対する基本的な考え方が大きく異なる。細かい点を挙げれば,各項目でそれぞれの著者で記載に一致しないところは非常に多いことに気づかれるであろう。これを無理に一致させることは不可能であり,編集者の権限で変更を要求するようなことはまったくしなかった。それぞれの考え方に学ぶ点があるということである。用語や訳語についても不統一な点が少なくない。神経学用語集(日本神経学会用語委員会編,文光堂)にあるようなものはなるべく統一を心がけたが,残念ながらこの領域には神経学用語集にもあまり取りあげられていない。そして,用語や訳語の表現にそれぞれの著者の微妙な思いが表れていると考え,これも無理には統一はしなかった。
したがって初学者の人たちにあらかじめ断っておかねばならないのは,本書をテストの正解が記載されているような当たり障りのない教科書とは考えないでいただきたいということである。しかし,各論文とも豊富な経験だけでなく立派な業績と見識とをもった現在の日本の失語症研究の第一人者たちが担当し,渾身の力を注いだものが多いので,立派な「教科書」ともいえる。どうか,まずはそれぞれの著者の意見に虚心に耳を傾けていただきたい。そして,いろいろな考え方を学んでいただきたい。そして,その上でそれぞれの著者の意見をそのまま鵜呑みにするのではなく,自身の頭で考え問題点があればそれを整理し,問題意識をもって実際の臨床にあたっていただきたい。そうすると今までぼんやりとやり過ごしていた臨床的事実が突然に輝きをもって自身に迫ってくることもあるかもしれない。今までにないアイデアも浮かんでくるかもしれない。是非それを言語化して,発表していただきたいと思うのである。
私が常に初学者を対象にした講演の際に言う言葉は『偉い先生(筆者のことではないので念のため)が言うことや書いたものは学ぶべきところが多いので,その主張をしっかり理解しておく価値は十分にある。しかし,それをそのまま鵜呑みにはせず疑ってかかれ。「本当の教科書は患者さん」である』といった内容であるが,それを本書の巻頭言の最後に示しておきたいと思う次第である。
(東北大学大学院医学系研究科高次機能障害学分野 松田 実)