横張琴子(言語聴覚士):著
2016年発行 A4判 106頁脳卒中による重度障害でこれ以上の回復は困難といわれた患者さまたちによる圧倒的な作品集です。誰もがもう一度生命の灯を輝かせることができる。ぜひ本物の「希望」をご自身の目でご覧になってください。
はじめに
―この本の内容の説明を、私たちにさせていただきたいのです―
この「生命の灯ふたたび」と題する本は、失語症という重い障害とさまざまな身体障害を負われた方々の絵画や書道の作品集です。
失語症は脳梗塞や脳出血などの脳の病気によって引き起こされる言語障害です。特に言語機能を営む中枢が左脳(左半球)にあるために、しばしば右半身の麻痺を伴います。言語を失うということは、普通の健康人には想像を絶する状態ではないでしょうか。我々の生活の多くの部分が、言語によって営まれています。挨拶するのも電話に出るのも、家事も仕事も、お金の計算も、みんな言語で行われるのです。それが不可能になってしまうのが失語症です。しかも、この症状に理解のない多くの人々には、そういう患者さんたちがほとんど認知症のように見えてしまうのです。我々は言語によって自己を表現し、言語によって他人を理解しています。我々の人生にとって言語の果たしている役割の重大さについても、そういう言語を失った患者さんたちの経験している絶望感についても、もうこれ以上くどくどと述べる必要はないでしょう。
そういう人生に不可欠な言語を失った失語症の患者さんたちが、信じられないほどの努力と苦闘を長年に渡ってつみ重ねて、見事に自己を表現するに到った経過と成果がこの作品集です。しかもほとんどの方は、これを左手で行われたのです。まずは、このような作品を創作された患者さんたちの勇気と強い意志に敬意を表したいと思います。さらに、彼らとその努力を見守り支え続けてこられたご家族のご苦労に対しても、静かな声で称賛の念を表したいと思います。「おめでとうございます、お疲れさまでした」と。
横張琴子先生の足跡
患者さんとご家族のための仲間づくりや絵画・書道・言語訓練を合わせた教室を毎週朝から夕方までボランティアで運営されて、この作品集を編集されたのが横張琴子先生です。この作品集の背景をご理解いただくためにも、以下に横張先生の活動と足跡の一端をご紹介させていただきます。
横張先生は、大学を出て中学校の先生になりました。しかも、周囲の猛反対を押し切って、当時まだあった困難地域の中学校の新任教師になったのです。まだ特殊学級もない時代だったそうです。障害児を集めて勉強を教える「琴子学級」を作ったり、放課後や休日に生徒を遠足に連れ出したりして、校長からも叱られたこともあったようです。これが彼女の原点です。この情熱と実行力、気力と体力が現在まで続いていることに驚かされます。
その後結婚され、ご主人のお仕事で米国クリーブランドへ行かれました。そこで、「もしあなたに障害児がおられたら、我々に手助けさせてください。そうでなかったら、手伝ってくださいませんか」というボランティア協会からの呼びかけに強く共感し、障害児施設に通いはじめました。この経験が彼女の第2の原点といえるのだろうと思います。
帰国後は、障害児教育、特にその言語訓練を勉強され、いくつかの小中学校の心障学級(今の特別支援学級)で非常勤の先生を続けられたそうです。そこである事件が起こります。1979年、バレーボール試合中のアキレス腱断裂で国府台病院に入院。入院時の書類に「職業・言語療法士」とあるのに眼を留めた医師と婦長が、入院中の失語症患者の言語療法を担当してくれと依頼したのです。横張先生は、手術直後の寝たままの状態から、失語症の患者さんをベッドサイドに呼んで言語治療を始めました。実習中の看護学生がお手伝いしたそうです。この光景を想像すると、なんだか自然に口許がゆるみます。当時はまだこういう人間的な余裕が、医療の側にもあったということなのです。こうして、言語聴覚士(ST)・横張琴子先生が誕生しました。その後も、是非にという病院側の依頼を受けて、言語治療を継続することになりました。
「失語症友の会」
すぐあちこちの病院から要請があって、学校から病院へと軸足を移動していかれました。当時は今のようにリハビリテーション科もほとんどなく、失語症の言語療法の専門職(ST)もわずかしかいませんでした。一命を取り留めたというだけで、病院からの退院を余儀なくされた患者さんたちは、家庭に復帰しても悲嘆にくれるだけという毎日でした(この実情は今もそう変わらないと思います)。そういう人たちに出会いやリハビリの場を提供し、同じ障害を持った仲間同士の語らいの機会を提供する「友の会」を、先生は立ち上げられました。最初の数回の友の会は、何と先生のご自宅を開放されての集まりでした。この会はやがて「東葛失語症友の会」に成長し、やがて200人を越える大きな集まりになり、遠くは福島や岩手から来られている方もおられます。友の会はいつも楽しい笑い声が絶えません。お昼にはちょっとですがビールも出ます。専門職のSTも、その卵の学生も、おおぜいの人が支援のボランティアとして参加されています。この集まりはそろそろ40年になろうとしています。この持続する意志の強さは並大抵のことではありません。
「作品集への道」
横張先生はもともと絵画や習字などがお好きでした。言葉を失った人たちに対して、左手の機能訓練もかねて、絵画や書道という形で自己表現を試みていただき、そのことを通じて言語喪失の障害をいくらかでも克服するという方途を模索し、力を入れていかれました。こうして、患者さんたちは絵画や書道の練習へと導かれました。最初は簡単な図形やご自分の名前の模写も十分にできないというほどであった人がめきめきと上達されて、びっくりするほどに見事な絵や書を描かれるようになりました。それがこの作品集です。
少子高齢化という大問題をかかえるこの時代、障害者をめぐる福祉と医療の環境はますます困難になりつつあります。失語症の患者さんたちは、リハビリテーション治療も短期間に限定されて、すぐに退院させられ、ご家族と共に、家庭復帰という美しい言葉の裏側で、これからどうしたらいいのだろうかという不安と焦燥の中に閉じこもっておられます。横張先生がやってこられたことは、そういう人たちに対する支援のあり方の模索です。この作品集は、障害者の医療や福祉について、多くのことを語っているように思われるのです。
横張琴子先生には、これらの社会的な活動と業績に対して、2003年に全国医療功労賞が贈られました。ご本人があまり話題にされませんので、最後にこっそりご披露申し上げておきます。
平成28年春
波多野和夫(佛教大学社会福祉学部 教授)
四方田博英(国立国府台病院 言語聴覚士)
作品づくりと作品集について
―再び輝き出す生命―
「限界」と言われてから始まる回復への道
四大成人病の中でも最も発病率の高い脳卒中は、高齢者だけでなく、働き盛りの50~60代、時に30~40代での発病も少なくありません。脳卒中などの後遺症によって突然、手足が動かない、話せない、文字もわからないというような重い障害を負われた方やそのご家族の恐怖や不安、絶望感は想像を超えるものでしょう。その上、こうした障害に対する積極的なリハビリテーションは約6ヵ月で終了とされ、その後は介護保険や福祉施設などでの維持的リハビリへ移行、というのがほとんどの現状です。
しかし、多くの、特に重い脳損傷を負われた失語症やその他の高次脳機能障害者にとって、発病後6ヵ月や1年という時期はやっと心身ともに訓練への態勢が整い始め、そこから様々な可能性をもった回復への道が始まる出発点に近いものなのです。
「リハビリ終了」になった方達と
「死んだ方が良かった」「死にたくても体が動かず、死ぬこともできなかった」と述懐されたご本人達。「どうやって生きればいいか、地獄の毎日だった」「誰か話し合える人が欲しかった」と訴えられたご家族達。こうした方々の中には、数ヵ月~1年、以前は1年~数年間の集中リハビリを受けた後に、主治医の先生や担当者の方から「今後とも話したり、書いたり、計算したりの機能回復は不可能」「これ以上回復は無理、リハビリの対象にならない」などの宣告を受け、深い失意・喪失感の中で、声を出すことも笑うこともなく、人に会うことも拒否して閉じこもりの年月を過ごされていた方達も少なくありません。
40年近くこの仕事に携わってきて、そんな境遇に置かれた方々に各地で数え切れないほどお会いし、もう一度「生きて良かった」と思える生命の輝きを取り戻していただきたくて、言語機能の向上の他、仲間づくり(ご家族も)、生き甲斐づくり、生活の活性化などを目指した取り組みを試みてきました。中には15年も経て初めてお会いした重い障害の方もおられます。
絵や書への取り組みは
描画への取り組みの多くは、ご自分の思い通りに動かない左手や不全麻痺の右手に筆者の手を重ねて「○」や「+」など基本的な線や単純な絵の模写練習をくり返し、色の選択、ぬり方、重ね方などの指導を加え、やがて各々の方に適した作品づくりへと進めます。書道でも同様に手を添えて、筆の入れ方、押え方、撥ね方などの練習をくり返した後、横から声をかけながら大きな文字の墨書に取り組んでいきます。
こうして「不可能」とされてきた方達の手から生まれ育っていった作品は、ご本人やご家族の大きな喜びとなり、自信や意欲を再生させ、やがて「回復不可能」と告げられていた文字の読み書きや計算など言語機能の向上をももたらし、集いは大きな歌声や笑い、ご家族達の賑やかなおしゃべりに包まれ、お仲間同士の会食や旅行などへも発展していきました。
描画や書道などの創作活動には、次のような有用性があるように思います。
①言語障害の重症度に関係なく(重度障害の方でも)取り組める
②重度障害の方でも健常者以上の作品を創り得る→失われた自信や自尊心の復活、人間としての復権!
③努力や向上の経過や実績を本人も周りも確認しやすい
④本人や家族の喜びや意欲・集中力を増進させる
⑤右脳の賦活作用で他の諸機能の向上にも資する
人間万歳!…再び輝き出す生命
☆発病して10年目に初めてお会いした方のご家族から―
「やっと声が出そうになった時、訓練を打ち切られ、重度障害者には行き場もなかった。10年を過ぎて初めて集いに参加でき、計算、ノート学習、絵、書道、歌などの指導を受け、本人の『やりたい!』気持ちが芽生えた。黙って下ばかり向いていた主人が、日々打ち込み進歩する姿に私達はメッチャうれしい!」
☆30年前から松戸で開催している作品展「生命の灯ふたたび」会場のご感想箱から―
「もうだめだ、と言われた人達のこんなにも見事な復活!熱い涙が止まりません。人間万歳!」「人の可能性に終わりのないこと、人は希望や目標を持った時から変われること! 胸にドッと迫ります」
この小冊子が、障害をうけられた方やそのご家族に、そしてその方々とかかわられる医療や福祉関係の方々に、人間の脳が秘めている限りない可能性や、どんなに重い障害をうけても、超慢性期であろうとも、灯がともされれば輝き始める生命のすばらしさを、そしてその道程に寄り添うことの有用さと悦びを、少しでもお伝えできますようにと心から願っています。
2016年5月 言語聴覚士 横張 琴子
はじめに 波多野 和夫・四方田 博英
作品づくりと作品について 横張 琴子
水彩画 伊藤 美弥子
ボールペン点描画 高橋 康一
書 故・篠崎謙二
色鉛筆画 大城 義行
水彩画 石堂 将
油彩画 故・足立隆男
日本画 伊藤 怜子
水彩画 故・渡辺益宏
アクリル・色鉛筆画 早川 利之
アクリル画 田村 恵子
書・水彩画 故・矢内勝宣
色鉛筆画 三師 明子
水彩画 塚原 幸男
水彩画 故・浅利義通
書・水彩画 目黒 章夫
書 故・浜本康春
色鉛筆・水彩画 渡瀬 とし子
水彩画 鈴木 忍
書 故・植田平八
書 山本 浩子
絵手紙 栗原 利雄
書 佐々木 正博
色鉛筆画 福永 淑夫
書 萩原 博美
色鉛筆画・書 橋本 誠二
水彩画・書 中川 智之
水彩画 村岡 照雄
水彩画 橋本 秀久
水彩画 永井 敏子
色鉛筆画 宇関 ふみ子
水彩画 星加 禮子
鉛筆・パステル画 矢中 興一
水彩画 岡部 雄一
水彩画 五十嵐 忠夫
水彩画 細野 研
水彩画 佐藤 泰久
書 故・柳沢一好
書 今野 秀夫
書 故・藤嶋時子
水彩画 及川 章夫
水彩画 吉岡 峻
色鉛筆画 佐藤 敏雄
水彩画 高野 達雄
水彩画 安永 司
水彩画 故・橋本喜毅
書 長谷川 勇
脳卒中とその後遺症、そして回復への道 横張 琴子