臨床医のための司法精神医学入門 改訂版

 日本精神神経学会 司法精神医学委員会:編集

2017年発行 A5判 196頁
定価(本体価格3,500円+税)
9784880028668

内容の説明

 精神科専門医をめざす医師のための臨床研修用必携テキストが改訂されました。
 難しい用語をできるだけかみ砕きわかりやすい解説が魅力の入門ガイドブック。

改訂にあたって

 司法精神医学は精神鑑定を中心に発展してきた学問であるが,犯罪学(犯罪生物学,犯罪心理学,犯罪予防,法医学)や犯罪を行った精神障害者の処遇のあり方,さらには,違法薬物問題など社会的な違法行為に対する対応策に関することなど,法システムと関連した分野に広く及んでいる学問である。精神鑑定だけについても,刑事精神鑑定,民事精神鑑定,医療観察法鑑定,成年後見鑑定など多岐にわたっている。精神鑑定では犯罪に至るまでの精神的な問題を詳細に分析するという精神医学のきわめて基本的な要素を含んでいるが,しかし,司法精神医学は日常の精神科臨床のなかでは疎遠な特殊な領域であるとされてきた。
 2005年7月に医療観察法(心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律)が施行され,医療観察法の審判にかかわる精神保健判定医が1,098名(2016年1月現在)推薦され,医療観察法の鑑定を行う鑑定入院医療機関も292ヵ所(2016年6月現在)推薦されている。この結果,精神鑑定を行う精神科医も医療機関も大幅に増え,また,2004年4月からは,旧来の禁治産・準禁治産制度にかわって成年後見制度が発足し,多くの精神科医が成年後見鑑定に携わるようになった。さらに,自動車運転免許(道路交通法),銃砲刀剣類所持に関する診断書,薬物規制法への対応なども加わっており,精神科医療が法システムとより密接な関係を持たざるをえなくなったといえる。
 いまや,司法精神医学は,精神科臨床医にとって身近なものとなり,いつ精神鑑定を依頼されてもおかしくない状況である。司法精神医学,特に精神鑑定を行う技術は精神科医にとって欠かせないものとなってきている。日本精神神経学会専門医制度のなかでも精神鑑定を行う技術は重要な素養と位置づけられた。このために年に2回の司法精神医学研修会が開催されているが,精神鑑定は触法行為に至るまでの精神的な変化を詳細に検討するという,精神科研修には絶好の機会といえる。ぜひ,精神鑑定に興味を持ち,積極的に研修に参加していただきたい。本書は,専門医をめざす精神科医の研修の副読本として2013年に発刊されたものであるが,研修医だけでなく,広く臨床に携わっている精神科医の日常診療業務にも役立つように企画されている。
 2014年4月から新たな精神保健福祉法が施行されて,保護者制度が廃止された。さらに,虐待防止法,道路交通法,薬物取締法などにおいても修正が重ねられており,今回,改訂版を発刊する運びとなった。発刊に至るまで,ご協力をいただいた日本精神神経学会司法精神医学委員会の委員ならびに事務局の方々や新興医学出版社にも感謝を申し上げたい。

2017年5月

松原三郎

初版の序
司法精神医学・医療へのいざない

 司法精神医学・医療というと特殊な領域のように思われがちであるが,養老律令( 757年施行)の時代から癲狂者は犯罪を行っても処罰を減免され,租税や防人の義務も免除され,家族にその看護を任されていたことからも窺えるように,対象者が精神疾患であるか,否か,刑事責任能力の有無はいつの時代でも極めて重要で専門的な判断であり,精神医学の中心的課題そのものである。裁判医学(法医学)と精神医学とが分かちがたく絡み合った,兄弟のような関係であるといわれるように,極めて近接した学問領域であって,このことを如実に示している歴史的な事柄として,東京大学精神科の創設期の第2 代精神科教授として法医学の片山教授が兼務されたことが挙げられる。初代の榊教授が早逝されたため,第3 代教授となる呉先生が留学から帰朝されるまでの4 年間,片山教授は精神医学・医療にも偉大な足跡を遺されたことで知られているが,先生は法医学を専攻し,ベルリン大学やウィーン大学に留学された際,法医学の教授陣に師事するとともに,精神医学のMendel 教授やMeynert 教授にも師事し,併任とはいえ,府立巣鴨病院(後の松沢病院)の医長として,病院改革,特に看護改革で業績を上げられるとともに,多くの精神科医を輩出されている(参考文献,東京大学精神医学教室120年)。その後,法制度が整備され,精神医学の発展とともに精神医学的鑑定と司法判断との役割分担がなされて,多くの大学病院精神科において日常的に鑑定留置が行われ,日常の諸場面での多数の精神科医や看護師による観察とカンファレンスも含めた,厳密な精神症状の把握がなされて,刑事精神鑑定書が作成されていた。しかも,その大学の精神医学の系統講義の資料にもその精神鑑定書が教材として含まれてもいた。また,病的酩酊の判断のための飲酒試験に若い研修医が集められ,当事者といっしょに教授の用意してくれたジョニ黒のご相伴にあずかったりもしていたのであった。
 しかし,精神科医療のノーマライゼーションと病棟の開放化,リエゾン精神医療の発展とともに,刑事精神鑑定が多くの大学病院精神科では実施されなくなり,精神科医育成のプログラムに組み入れにくくなってしまっている。もちろん,精神科医療に直接関わる精神保健福祉法や後見制度についてはどの大学でも後期研修医に講義し,措置診察の場面での研修もできるようにしているが,刑事精神鑑定の実務を研修する機会は作りにくくなっている。厚生労働省は医療観察法の施行にともなって,司法精神科医療に携わる人材育成のための研究事業を実施したが,その結果として,各地に司法精神医学・医療研究懇話会のような組織が作られ,法律家の参加も得て,討議が活発化しているので,若手精神科医の司法精神医学への経験を深める機会とはなっているが,実務研修にはほど遠いと言わざるを得ない。
 日本精神神経学会は司法精神医学,精神療法,児童青年期精神医学の3 分野が精神科専門医になるための臨床研修プログラムでは不足しがちな領域であるとの認識に立って,教育問題委員会を発足させ,それぞれ作業部会を設置した。この度,司法精神医学作業部会では司法精神医学を系統的に学ぶことのできる臨床研修テキストの出版を企画し,執筆陣もこれらの趣旨をよく把握している作業部会の先生方が担当してくださり,わが国で求められる最も高品質で,わかりやすく,しかも,高水準を維持している臨床研修テキストがいよいよ出版の運びとなり,担当理事としても,本当に喜ばしい限りである。
 もちろん,後期研修医に限らず,精神科診療に携わる多くの先生方に司法精神医学に興味をもっていただき,これを学ぶことで,日常の精神科臨床に生かして頂ければと願っている。上述の司法精神医学懇話会や日本司法精神医学会などで,専門外の小生も司法精神医学の学びを少しずつ進めているが,精神医学の発展と法制度の改革によって,司法精神医学が発展していることを実感している。例えば,司法精神医学・医療により確定判決がひっくり返され,当事者の利益となるようにすることができている症例に触れると,つくづくこの分野の重要性がわかる。破瓜型統合失調症の犯罪と判断され,限定責任能力という簡易鑑定があり,地方裁判所では執行猶予付きの有罪判決が確定した事例では,判決後,医療観察法の申立てを検事が行い,鑑定入院となり,その結果,破瓜型統合失調症ではなく,広汎性発達障害の診断で,なおかつ,この鑑定入院中に枠組みをきちんと作った心理療法・認知行動療法を行ったところ,治療反応性があると認める判断をしたため,審判では確定裁判の判決における診断とは別の診断名で,医療観察法にのせることができた症例があり,その後の経過は良好であるという。したがって,刑事精神鑑定の厳密さが一層求められているということであるが,今後は更に,これらの診断の補助的な根拠のひとつとして脳機能や脳形態の解析が司法精神鑑定にも加わって,その妥当性の担保がなされるような研究の進展が待たれている。
 本書が司法精神医学の教育,研修と,研究の担い手の育成に役立ってくれれば望外の喜びであり,執筆された先生方と,出版をお引き受けいただいた新興医学出版社の林峰子社長と社員の皆様にこころから感謝申し上げる次第である。

2013年4月

三國雅彦

おもな目次

第1章 司法精神医学への招待  中谷陽二
A 転ばぬ先の杖
B 司法精神医学とは
C 研修に活かす――鑑定は症例の宝庫
D 本書のねらい
E 腕試しコーナー

第2章 刑事精神鑑定  五十嵐禎人
A 刑事精神鑑定とは
  Column 1 精神鑑定の結果は食い違うのか?
  Column 2 ハンニバル・レクター
B 刑事責任能力鑑定の対象
C 心神喪失・心神耗弱とは
  1 心神喪失・心神耗弱の定義
  2 わが国における心神喪失者等の現況
D 法的判断と医学的判定――司法と精神医学の役割分担
  Column 3 最高裁昭和59年7月3日決定
  Column 4 最高裁昭和58年9月13日決定
  Column 5 最高裁平成20年4月25日判決
E 可知論と不可知論
F 刑事責任能力鑑定の種類とそれぞれの役割・意義
  1 刑事責任能力鑑定の種類
   a.公判・公判前鑑定
   b.起訴前鑑定
  2 それぞれの鑑定の役割・意義
G 刑事責任能力鑑定で鑑定人が行うべき作業
  1 「精神の障害」とは
  2 心理学的要素の分析
  3 総合的な評価
  4 事例提示
H 刑事責任能力鑑定において注意すべき点
  1 精神鑑定における精神科医の役割
  2 鑑定資料の取り扱いについて
  3 鑑定結果の報告方法
I 裁判員制度と刑事責任能力鑑定
  1 裁判員制度と法廷における審理のあり方の変化
  2 裁判員制度における精神鑑定の変化
   a.精神鑑定の行われる時期――鑑定資料の取り扱い
   b.鑑定作業と鑑定結果の報告――簡にして要を得た精神鑑定結果の報告
J 刑事訴訟能力鑑定

第3章 医療観察法  岡田幸之
A 法律とその背景
  Column 1 附属池田小事件の加害者と医療観察法
B 関連する用語等
C 医療観察法のシステム
  1 処遇審判の申立てと鑑定入院の開始
  2 初回の処遇審判とカンファレンス,審判期日
  Column 2 医療観察法と国際生活機能分類(ICF)
  3 初回の処遇審判決定
  Column 3 刑事司法のシステム
  4 入院処遇
  5 入院によらない処遇(通院処遇)
D 現状と課題
E 判例

第4章 精神保健福祉法  清水徹男
A 精神保健福祉法は複雑な法律である
B 精神保健福祉法の歴史
  1 精神病者監護法と精神病院法
  2 精神衛生法の誕生とその変遷
  Column 1 私宅監置制度
  3 精神衛生法から精神保健法へ
  4 精神保健法から精神保健福祉法へ
  Column 2 ライシャワー事件
C 精神保健福祉法の目的と対象
  1 精神保健福祉法の目的
  2 精神保健福祉法の対象者
D 精神医療の強制医療的側面と人権
E 入院患者の人権保護の仕組み
  1 精神保健指定医と精神科専門医
  2 精神医療審査会
  Column 3 国際人権B規約
  3 保護者制度の廃止
  4 監督・救済制度の概要
F 精神科入院形態
  1 任意入院
  2 医療保護入院
  3 応急入院
  4 措置入院(緊急措置入院を含む)
   a.申請・通報・届出
   b.措置入院の要件
   c.緊急措置入院
G 移送
  1 措置入院の際の移送
  2 医療保護入院,応急入院の際の移送
H 入院患者の行動制限について

第5章 民事精神鑑定  赤崎安昭
A はじめに
B 成年後見制度
  1 新旧制度の概要
  Column 1 成年後見制度パンフレットの検索方法
  2 法定後見
   a.後見の概要
   b.保佐の概要
   c.補助の概要
  3 任意後見の概要
  Column 2 任意後見契約
  4 成年後見制度の申立件数および手続き
  Column 3 「成年後見関係事件の概況」の検索方法
  Column 4 四親等内の親族
  Column 5 市区町村長の申立て
  5 成年後見人の役割・実務
  6 成年後見制度における診断書・鑑定書の作成
   a.診断書の作成
  Column 6 成年後見制度における鑑定書・診断書作成の手引の検索方法
   b.鑑定書の作成
  7 裁判所による監督
  8 高齢者を巻き込んでの犯罪
C 日常生活自立支援事業
  Column 7 日常生活自立支援事業の検索方法
  Column 8 「日常生活自立支援事業パンフレット」の検索方法
D 遺言能力
  Column 9 訴訟に発展する公正証書遺言
E 心的外傷後ストレス障害(PTSD)
  1 事例
  2 PTSDと鑑定する際の留意事項

第6章 虐待防止法・薬物規制法・道路交通法(運転免許制度)  大下 顕,森 裕
A 虐待防止法
  1 児童虐待防止法
   a.児童虐待の定義
   b.児童に対する虐待の禁止
   c.児童虐待の早期発見努力
   d.児童虐待の通告義務
   e.通告または送致を受けた場合の措置
   f.児童虐待に対する強制調査
   g.虐待児童への保護者の接触制限
  2 高齢者虐待防止法
   a.定義等
   b.在宅高齢者への虐待
  3 障害者虐待防止法
   a.定義
   b.早期発見,通報
   c.養護者による虐待の防止,養護者に対する支援
   d.障害者福祉施設従事者等による虐待の防止
  Column 滋賀サン・グループ事件
   e.使用者による虐待の防止
   f.学校・保育所等や病院等における虐待の防止
B 薬物規制法
C 道路交通法(運転免許制度について)

第7章 少年事件と鑑定  安藤久美子
A はじめに
B 少年法の概要
  1 少年法の理念と目的
  2 非行の類型
  3 適用年齢
  4 改正少年法
  Column 1 虞犯事由とは?
  Column 2 神戸連続児童殺傷事件
C 少年事件の法的手続き
  1 事件発生〜審判開始まで
  2 審判〜終局まで
  Column 3 少年鑑別所の役割
D 児童福祉機関送致決定(少年法第18条)
E 検察官送致
  Column 4 少年事件での死刑判決(石巻3人殺傷事件)
F 保護処分
  1 保護観察
   a.類型
   b.処遇の実際――遵守事項
   c.段階別処遇と処遇プログラム
  Column 5 保護司/保護司制度
  2 児童養護施設または児童自立支援施設送致
  3 少年院送致
   a.少年院の種類
   b.処遇区分
   c.矯正教育課程
   d.教育内容と方針
   e.出院
G 少年事件の精神鑑定
  1 鑑定事項と鑑定資料
  2 鑑定留置場所
  3 鑑定期間
  4 鑑定面接
  5 鑑定書作成
  6 鑑定人尋問

第8章 司法精神医学倫理  中谷陽二
A 司法精神医学倫理とは
B 司法精神医学倫理の特殊課題
C 精神鑑定と倫理
  1 中立であるためには
  Column 職権主義と当事者主義
  2 鑑定人と被鑑定人
  3 鑑定人は何を答えるか/答えてはならないか
D 触法精神障害者の医療と倫理
  1 刑事施設の医療
  2 医療観察法の医療
E 司法精神医学研究と倫理
  1 研究への同意
  2 鑑定事例の研究
F 倫理ガイドライン
G おわりに

あとがき
索引